もくれんの映画と読書日記

趣味のかたよった読書と映画鑑賞の日記です。

チェンジリングとオーメンを合体させたような内容かと思いきや「クワイエットボーイ」

オーメンチェンジリングを合体させたような内容なのかと思っていたけど――。

 

クワイエット・ボーイ(字幕版)

クワイエット・ボーイ(字幕版)

  • アレッサンドロ・コラービ
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大人が化物の扮装して子供たちを驚かす祭り。なまはげみたいなものに見えるが、神様の使者であるなまはげと違い、こちらはもっと邪悪なものに思える。

 

怖さに耐えかねた一人の幼い少年が、「もう帰ろうよ」と父親にせがむ。しかし父親はその化物に扮装している大人たちの一人で、すでに酒のせいでベロンベロン。

 

酔った勢いで少年を「うるさい」と突き飛ばす。少年は仕方なく一人で家を目指して森の中を駆け抜けるが――。
彼はそのまま姿を消してしまう。

 

当然世間から攻められ倒す父親。母親も祖父も大人たちも必死になって探すが少年は見つからない。とうとう子殺しの容疑で父親が逮捕されるはめになる。

 

それから5年後、釈放され酒を断ち反省の塊と化してひっそりと暮らす父親と、旦那の無実を信じて寄り添う母親のもとに、衝撃的な事実がもたらされる。

 

よく似た少年が地下道で見つかった。
DNAも一致し、彼が行方不明の少年であることに間違いない。

 

彼はなぜか記憶をすべて失っており、ほとんどしゃべることもしなかった。
戸惑いながらも再会を喜ぶ両親。

 

しかし、妙に不気味な雰囲気をまとう少年に、一抹の不安を感じる祖父、そして彼にだけ異様に吠える犬…

 

「そうか、ここからオーメンになるのだな」との期待どおり、彼の言動は不審に満ちてくる。無条件に彼をかばいつつげる父親に反して、ついに母親も疑問を持ち始め、距離をとるようになるが、その様子をじっと見つめる少年の瞳。

 

この映画は後半から様相を変える。それがポイントなのだが、あっと驚くどんでん返しではなく、じわじわめくられて気が付けばひっくり返っていたような奇妙なストーリー展開だ。

 

派手ではないが、普通に面白い。
独特の暗さと少年の美しさが逆に不気味さを際立たせていて、結末に素直な気持ちで「やられた」と降参できる。

 

人は常に、カメラワークと作られたイメージで、いろんなものを見てしまっているのだなというのを納得させられる映画だった。

 

いろいろ書きたいことはあるが、どれを書いてもネタバレにつながっていくので難しい。なのでここに取り上げようか迷ったのだが、人の弱さとか怖さとか、印象とか、いろんな意味でこれも1つのホラーだなよなあと、ちょっと気に入ったので、あえてとりあげてみた。

 

単純なストーリーではあるんだけど、グロさや息をつめるホラー映画にどっぷりひたりきっている人には、ちょっとお茶受けになるようなホラー映画です。

ニコラス・ケイジそのものがコメディでホラー「ウィリーズ・ワンダーランド」

ニコラス・ケイジがいないと成り立たないといっても過言ではないB級コメディホラー。

 

 

コメディなのにゲラゲラ笑う場面とか、そんなに無い。
でも設定自体がおかしいのと、何よりニコラス・ケイジのキャラクターそのものがコメディになっている映画。

 

ニコラス・ケイジ演じるハードボイルドな風貌の男は、田舎町で車がパンクし呆然としながら無人の道路に立ち尽くし続ける。

 

運よく通りがかったトラックに助けられ、町で車の修理をしてもらうが代金が払えず、やむなく清掃員を一晩引き受けることに。

 

かつて陰惨な事件が起こった廃墟となった屋内遊園地。そこで一晩掃除をすることになるが、見ているだけで気持ちよくなるくらい男は掃除し倒す。どこもかしこもピカピカ。

 

ホラー映画の王道である、遊園地で化け物に襲われる惨劇と若者グループ、なぜか必要不可欠なチャラカップルによるエロシーン、真面目でかわいいラストヒロインなどすべてのお約束を詰め込んだ何の変哲もないホラーの世界に、絶対負けないアクションヒーローを放り込んだらどうなるか――という面白さなんです、この映画。

 

襲ってくるのはキャラクターのぬいぐるみロボットたち。機械感はそんなに無く、けっこう人感が混じってグロテスク。

 

ニコラス・ケイジがドバーと浴びる返り血は、オイルだか血だかわからないけど、おぞましさ満点。子供っぽい歌や子供たちに語り掛ける音声、独特の遊園地の雰囲気が気持ち悪くていい感じ。

 

ツッコミどころなんて山ほどあるけど、ツッこんでもらおうと思って作ってるんだろうから、制作側にしては大成功でしょう。

 

殺人ロボットたちの由来や、呪われた町の歴史なんかはちゃんと理論的に説明はされるんだけど、みんなが知りたい最強の謎はニコラス・ケイジ
もくもくと掃除しながら、ぬいぐるみロボットが現れても恐怖の表情などまるで浮かべない。

 

一番始めに出てくる鳥の化け物。食うはずの掃除男が自分を見たとたん怒りの表情と闘争心を溢れかえらせ、モップを膝でぶち折り気合をいれる姿に、一瞬目を見開き「えっ」と驚きの表情を浮かべるのがかわいかった。

 

迷い込んだ若者たちを助けるいいやつなのか?と思いきや、急に戦いを投げ出してどっか行ったり、踊りだしたりとわけがわからない。

 

だんだん化物なんかどうでもよくなって、ストーリーなんかあってないようなものだし、ただただ気になるのは一点だけ。
こいつは何者?

 

それが知りたくて最後まで見ましたが、最後もしっかりツっこんだ。
「わけわからん!」

 

でもとても面白かったです。
ニコラス・ケイジって名優であり、やっぱり変。

ブラックなどんでん返しがクセになる「#真相をお話しします」

私たちの「今」に向かって強烈な皮肉をこめた読む人を選ぶであろうミステリー短編。

 

 

マッチングアプリ」「リモート飲み会」「YouTuber」などを題材にしているので、おじさんおばさん、加えてじーさんばーさんたちにはキツイかもしれない。

 

ちなみに作者の方の年齢を見てみると、まさしくうちの娘と近い世代。だろうなあ。

 

「リモート飲み会で寝落ちして絨毯ビールまみれ」「○○のYouTuberはなんかいらつく」など娘の日常会話で、先日もマッチングアプリで出会って結婚した友達の結婚式に出かけていったばかりだもの。

 

そんな若者たちを中心に据えつつ、このミステリーはおばさんが読んでも絶妙に面白い。
どっぷりとネット社会に浸りながらも、娘も常日頃口にする「何だかなあ…」という気持ちが溢れている。

 

本の内容紹介で書かれているように、まさに現代の「歪み」をミステリーという形で見せてくれているのだ。

 

冒頭の一編「惨者面談」などはネットに直接関係ない話だが、今時のある現象がネックになっているし、どこか歪んでいるここ十数年の変化をリアルな目線でみている。

 

物語を彩るどんでん返しは複雑ではないが、ブラックで皮肉も絡ませとてもクセになる。

 

作者の世代は、ネット以前と以後のまさに境目にいる世代で、だからこそ見えるものも多く、それらを冷静に受け止められる世代なのかもしれない。しかも、年齢的にも将来を見据え、いろいろな選択を迫られている微妙な人たちだ。

 

もう一つ、このミステリーで面白いのが、ほぼ全部が「子供」に関わる物語である部分だ。とはいえ、すべて一人称で書かれているがそれらはどれも大人目線であるのが特徴的で、子供は重要人物でありながら本心のわからない奇妙な存在として描かれている。

 

そしてラストの「♯拡散希望」で、ついに子供本人の目線による強烈な物語が展開する。それまでの内容はと違い、これはまさしく歪みきった未来の物語。

 

これから子育てという大事業に挑んでいく、すさまじい変化の中で生きてきた作者の世代に、おじさんおばさんじーさんばーさんたちは心からエールをおくりたい。

気軽にネットで見れる楽しさと怖さ「夜の訪問者」「カウントダウン」

イギリスの有名な傑作戯曲で、何度も映像化されている名作。

 

 

サスペンスとは言え、けっこう文学っぽい雰囲気漂う古典的作品なので、なかなか見る機会もなく、気合をいれて見よう!という気も起らない。無料配信がなければ最近映像化されているなんて知らなかった。

 

ましてやBBCのドラマ映画なんて。こんな名作を気軽にネットで見れるのだからほんとにいい時代になった。

 

こちらはほぼワンシチュエーションに近い設定で、舞台は1900年代前半。ファッションや小道具みているだけでも楽しいので、面白くなくてもいいやとボケーと見ていたが、毎度のごとく気が付けば釘付け。

 

見るからに裕福な実業家の屋敷で、娘の婚約を祝う席が設けられていた。工場主の夫婦、娘とその婚約者、ひねくれ坊ちゃん感満載の弟。金満感にあふれる幸せな雰囲気の中、一人の訪問者が現れる。

 

グール警部と名乗るその人物は、その日一人の若い女性が自殺したことを伝える。事情を調べているが、彼女は以前こちらの工場に勤めていたということを知り、話を聞きに来たという。

 

話が進むうちに、死を選ばなければならなかったほど貧しく追い詰められた彼女と、何不自由ない金満ファミリーが次第に繋がっていく。凝ったストーリーではないが、グール警部の無表情で淡々とした事情聴取が、勧善懲悪ドラマを見ているようで小気味よい。

 

グール警部が去り、物語は終結すると思いきや、事態はまだまだ治まらない。予想外の展開が待っていて、ラストは「えっ?」ということになり、きっと気に入らない人は気に入らないだろうなという終わり方。私はけっこう好きですが。

 

カウントダウン(字幕版)

カウントダウン(字幕版)

  • ティチナアーノルド
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ネット社会になったから楽しめた映画、もう一つ。
こちらはネットをテーマにしたホラー。

 

ある晩若者たちのパーティーで、1つのアプリが話題になる。
「余命宣告アプリ」
もうそれだけで、すべて映画の内容が把握できる単純明快なホラー。


ダウンロードした彼らは自分たちの老後の年齢を見て盛り上がるが、一人だけとんでもない余命を告げられた女性がいた。その瞬間から、アプリは刻刻と余命の時間をカウントダウンし始める。

 

さほどグロテスクさは無いホラーで、ストーリーも単純なので見やすい。
面白いのが、ほかのホラーと違って、ある特定の人物に起こる怪奇現象ではなく、ダウンロードしてしまった人たちがあちこちに大勢いることだ。

 

彼らは恐怖にかられて動画を配信し、助けを求めて泣きわめくが、誰も信用しないのだ。逆にフェイク画像だと嘘つき呼ばわりされ叩かれまくる。

 

一人一人の人間が実際にいつどこで死んだかなんて、誰も確認しないだろう。だから本当かウソなのかもわからない。


このアプリの余命というのは、運命なのか?「ファイナル・ディスティネーション」のように、逃れられないものなのか。

 

とすれば、ダウンロードさえしなければ余命を知って恐怖にかられることなく運命を受け入れて死んでいったのか。
神か悪魔か化物ですらも気軽にネットに参加してしまう社会を面白がっているようだ。

 

心霊関係の方々が電気を操るのが得意というのは、周知の事実。電気消したりつけたり電話かけたりもするものなあ。携帯関係の怪奇話も多い。思えば貞子もテレビから出てきたではないか。

 

コロナ期ならではのこちらも面白かった。

 

ズーム/見えない参加者 (字幕版)

 

 

てことで、
気軽に見れる楽しさと怖さを実感させてくれる面白い映画2本でした。

 

子供たちが活躍するミステリーって確かに面白かった「ロンドン・アイの謎」

子供たちが活躍するミステリーってこんなに面白かったなあ、というのを再認識させてくれる本だった。

 

 

12歳の少年テッドがパパ・ママ・姉のカットと暮らす家に、ある日叔母さんと従兄のサリムがやってくる。どこか遊びに行こうということになり、ロンドンの観光名所である大観覧車ロンドンアイに乗りに出かける。

 

大行列でうんざりしているところに、幸運にもチケットをゆずってくれる人が現れ、せっかくだからとサリムが一人で乗ることに。

 

テッドとカットに手を振り、ロンドンアイに乗り込んでいくサリム。しかしサリムがそこから降りてくることはなかった。彼はそのまま姿を消してしまったのだ。

 

日本のジュブナイルの名作少年探偵団シリーズも、プロット自体は複雑ではなかった。謎が明かされれば意外と単純なものだったりしたが、それを解いていく過程と展開が絶妙に面白かった。

 

この物語もかつて味わったそんなワクワク感を彷彿とさせてくれる。謎を解き明かしていくのは少年探偵団のような特別な子供たちではなく、ロンドンに住む一般家庭の姉弟。しかし特別なのは弟のテッドの脳のメカニズムだった。

 

彼はちょっと普通とは変わっている。おそらく人との付き合いがなかなか難しい症候群の子なのだろうなあと予測はできる。その彼の視点ですべてが書かれているのだが、サリムが消えてパニックになっていく家族の様子が、彼独特の思考で描かれていて、これが絶妙に面白い。

 

深刻な出来事でありながら、まるでコメディ映画のような空気感をかもしだしている。また、テッドは気象に興味を持ち、その道では専門的な知識を持っているが、それをまわりの人々や出来事の様子に絡めて表現したりするので笑える。

 

戸惑いながら、恐れながら、それでも極めて理論的な考え方で、テッドはサリム消失の謎を解いていく。

 

ミステリーは行くところまで行ったな、と感じていた昨今の自分の脳に一撃を与えてくれた本だった。プロットだけがミステリーじゃない。解かれていく過程とキャラクターの魅力も大切な要素なのだ。

 

だから少年探偵団は永遠の名作であり、子供たちが生きてきた歴史でもあるのだ。テッドたちもまた、現代の家族の形の1つを歴史として残していくような気がする。


この本の作者が早世してしまったことがつくづく残念でならない。
とりあえず唯一の続編に、迷うことなくチャレンジだ。

誰もが善人でもなく悪人でもない奇妙な事件「インサイド・マン」

立てこもった強盗と警察の心理戦が展開される映画は、どちら側にスターがいるかによって、展開や結末が違ってくる。

 

 

警察側にデンゼル・ワシントンがいる以上、結果的には警察側の勝利になるんだろうと思っていたが、犯人のクライブ・オーウェンがそうはさせるかと巧みな演出を見せてくれる。

 

見ている側がどっちの側にも立てない、とにかく展開が楽しい映画だ。加えて利口で小ずるそうなジュディ・フォスターの弁護士の登場によって、本当に悪いやつがあぶり出されていく仕組み。

 

この映画に単なるエンターテインメント炸裂感を感じないのは、正義に貫かれているキャラクターがいないからだろう。警察も弁護士も銀行側も誰もが硬い保身感をまとわせている。

 

ある意味正義を持っていたのは犯人なのか?ともとれるが、ちゃんと手に入れるべき報酬もあり、命をかけて正義感を貫くようなカッコよさも感じない。単にゲームとして楽しんでいるようにも見えて、いったいどういう人間なのかもわからない。

 

この犯人の意味不明度が、単調になりがちな映画を面白くさせている。どんなふうにこの状態を乗り切るつもりなのか、というところは次第に予想ができてくるが、果たしてそれがうまくいくのか乗り切れるのかというところに向かって目が離せなくなっていく。

 

現実の犯罪においても「普通の人でしたよ」という証言はしょっちゅう聞かれるが、この映画でも普通の人であることが、犯罪を成功させる要にもなっている。ある意味善人でもなく悪人でもない普通の人。

 

銀行強盗のストーリーと共に、ところどころで人質になった人たちの証言が挟まれるが、彼らもまた一癖ある部分を持っていて、誰もが決して善良な人間でないことを印象づけられる。

 

三人のベテラン俳優さんたちが、アクションサスペンスだけになりがちな内容を落ち着いたものにしているが、彼らもまた善人でなく、かといって悪人でもない。

 

巧妙に作られた内容に、ラストはニヤリとさせてくれる爽快感と共にため息も残る。
実際こんな事件が起こったら、普通の人である私たちはきっと拍手喝采してしまうかも。
いや、ネットでは普通の人たちの賛否両論でもりあがるだろうなあ、きっと。


 

 

 

 

 

 

タランティーノの問答無用のストーリー展開「ヘイトフル8」

タランティーノの映画は、いつものことだけどちょっとしたゾンビ映画よりも凄まじい。絶対ご飯食べながら見れません。

 

 

密室殺人みたいな宣伝文句だったので、本格謎解きっぽい内容なのかなと思っていたけど謎解きではないな。雪に閉ざされた山小屋で連続殺人がバシバシ起こるので、密室の殺人には間違いないけど、犯人が誰だとかそういう問題ではない。

 

ただ、ストーリー展開が面白い。吹雪の中、山小屋に閉じ込められた8人の人間。馬と拳銃が必需品の時代、賞金稼ぎや新米保安官、絞首刑人などややこしそうな人々が一堂に会する。

 

お互いが少しずつ知り合いであったり、敵対する相手であったり、何者かわからないやつであったりと油断がならない。何かが起こりそうな気配がむんむんする中、最初の殺人の火ぶたが切って落とされる。

 

かなり長い映画で、前半は会話にまみれて字幕だと目を離す瞬間が無いタランティーノ特有の展開だが、そこでサミュエル・L・ジャクソンを筆頭に8人それぞれの人物像が頭に入れられるし、交わされた会話の内容1つ1つが、ラストを含め後々のシーンや展開を大いに形づくっていく。

 

とにかく血も涙もないやつらばかりなので、最初の殺人で殺された男の死体もとっとと外に運び出して終わり。しかし事件は実はこれからで、拳銃の打ち合いとは違う毒殺事件が勃発する。

 

おそらくこの部分が密室殺人といわれるゆえんなのだろうけど、犯人はわからない。この展開だけ確かにミステリーっぽく、理論的な推理によって犯人が絞られていくかに見えた。

 

しかし、さすがタランティーノ監督、そこで問答無用の展開をぶち込んでくる。まさにどんでん返し映画という声も聞かれるほどの、すべての謎解きともいえる顛末。

 

タランティーノの映画は、映画をスキップしながら見る人には絶対に向いていない。おそらくどこでスキップしたらいいのかわからない。

 

だるい展開がしんどいなら、BGMにしてしまえばいい。実際自分はそうして育ってきた。映画垂れ流しじいちゃんばあちゃんの家で、違うことして遊びながら居眠りしながら。
ゆえに、ラストだけ知っているという悲劇も時には訪れるが。

 

側でしゃべっている大人たちのだるい会話と、映画の退屈な部分は同じレベルだったのだろう。スキップできない。ならばBGMにしてしまう。

 

それでもこんなに映画好きになった。意識は居眠りしてるけど、脳は意外と無意識にいろんなもの拾ってくれていたのかもしれない。