もくれんの映画と読書日記

趣味のかたよった読書と映画鑑賞の日記です。

「パール」と「X」は人の感情を爆発させてむき出しにしたいろんな意味でエロくてグロいレトロホラー

映画館で予告を見た時から「見に来るぞ」と決意していたのに、上映期間があまりにも短くて、気が付けば終わっていた映画。
「X(エツクス)」の続編ということで、しっかりそちらも見て気合入れていたのに。

 

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1900年代前半が舞台のレトロ感たっぷりのスラッシャーホラー。
主人公パールは、農場で両親と暮らしているが、異常なほど厳格な母親と病気で車椅子に座ったきりの父親の世話をしながらのしんどい生活だ。

 

パールの夢はダンサーとして映画に出ることだが、夢を見ることさへ許さない母親への反発心を常に抱えている。

 

そんなパールに転機が二つ訪れる。内緒で見た映画館での技師の男との出会いと、教会で行われるダンサーのオーディション。

 

抑圧されていた感情が一気にほとばしり、なんとしてでも夢をかなえようとするパールだったが、立ちふさがる母親。パールの激しすぎる感情も問題だが、母親もかなり狂気じみている。

 

そしてついに勃発した母娘の対立の場面で、起きてしまった惨事。パールの心は完全に崩壊してしまい、なんとしてでも夢をかなえるという気持ちから、どんなことをしてでも夢をかなえるという気持ちに変貌していく。

 

前半は、レトロな服装や町並み、モノクロ映画などのおしゃれ感を楽しめて、ホラー映画というのを忘れる。牛や鶏などを観客に歌って踊るパールはかわいいが、時折現れる彼女の狂気じみた部分が、ふと青春映画ではないことを思い出されてくれる。

 

後半爆発していく彼女は壮絶に怖い。パール演じるミア・ゴスの演技には圧倒される。後々まで知らなかったのだが、「X」のファイナルガールである女性を演じていた彼女は、史上最高齢のシリアルキラーも特殊メイクで演じていたらしい。驚き。

 

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「X」を見ていなくても十分楽しめるが、見ていた方がミア・ゴスのかわいさとエロさと迫力を堪能できる。なんといっても圧巻は「パール」のラスト近くの彼女の延々の告白と、エンディングに流れるパールの笑顔(?)。

 

また、「X」はこの物語の60年後になるので、いろいろと前振りがあって面白い。創世期のポルノ映画をパールに見せた技師が「こんなタイプの映画はこれからどんどんふえていく」と言うが、「X」ではそのポルノ映画の撮影隊が中心のストーリーになるのだ。

 

老人と少女を交差させ、それぞれが持つ不安・恐怖・嫉妬・憧れ・執着など、さまざまな感情をむき出しにしてみせたのがこの二つの映画だ。

 

老いとの闘い、若者の夢と現実、そこに加わる誰もが持つ感情をむき出しにし、誰もが心の中に持つエロさとグロさを更に加えるとホラーになったという感じ。

 

パールは言う。
「私には普通の人が持つ何かが欠けているみたいなの」

 

逆に、その何かが欠けると私たちはパールになってしまうということか。

 

 

臨場感たっぷりの師匠の面白トークが聞ける「まくら」

〝まくら〟とは落語の本題に入るまえに話してくれるお話のこと。
挨拶でもあり雑談でもあり、本題に入っていきやすいようにお客さんの心をつかむ楽しいトーク

そのまくらばかりを集めためずらしい本。
著者…というべきか、お話を聞かせてくれるのは柳家小三治師匠。

 

子供の頃、テレビで普通に落語が流れていたので、結構よく見た。名前も顔も全然覚えなかったが、本の写真を見て「あ、知ってる」と、今回初めて小三治師匠というお名前だったのだなと知った次第。

 

エッセイみたいだけどエッセイじゃないのは、やっぱり臨場感。ほんとにありきたりな表現になるが、まさにその場にいるみたい。劇場の1つの席に座って師匠の面白い話を聞かせてもらった。

 

お芝居やお笑いって劇場の生の空間の中で体験すると、こちらの感情をぐいぐい引っ張りだされる。テレビを通して見たり聞いたりするとたいして面白くない話でも、その場にいると爆笑したりする。

 

あの独特の空間体験は、ほんとに値打ちがあると思う。長らくそういう体験をしていないので、本を通してのこの疑似体験は楽しかった。
しかも名人のお話で。

 

この本が初版は1998年。
小三治師匠はかなり趣味の多く好奇心旺盛な方のようで、バイクやオーディオなんかに中年になってからはまり、またハマり方が徹底的ではちみつにハマると種類なんかは当然のこと、それを作ってくれるハチにまで興味がいき、ハチの生態まで調べつくしてしまうという凝りよう。

 

若い頃、まだ日本人もそんなに海外でうろうろできなかった頃の1人アメリカ体験とか、バイクの駐車場に住み着いた長谷川さんとの騒動は面白く、まだのどかだった時代を思いおこさせてくれる。

 

この本は、ここでどんなに感想を書いても面白さは伝わらないと思う。なので本の中から少しだけ、幸せな気分にしてくれた師匠の言葉を引用させてください。

 

わあ、イタリアいいなあとか、アメリカいいなとかっていうのは、アメリカで食ったもんがよかったとかっていうんじゃなくて、そういう場所でこんな親切受けたとか、こんなやりとりがあってとてもよかったとかって、そういうことだと思うんですよ、結局はね』

 

『昨日スチュワーデスさんからおしょうゆをもらったこと、とっても幸せのかけらで、ああ、今日はこんな幸せがあったと思うだけで、もうその日一日十分なんですよ。
中くらいの幸せがあったら、もうとっても幸せなんだと思います。普通は一日に少しの幸せ、うれしいこと、幸せのかけらを数珠つなぎにして、それで大きな幸せになるんだろうと、このごろ思うんですね』

 

『春・夏・秋・冬、これがこんなに順番にはっきりくるなんていう国、ほんとに幸せというしかないんじゃないですか』

                                 引用:講談社文庫「まくら」から

 

当たりまえのことかもしれないし、ちゃんとわかってはいるんだけど、こうやってしっかり誰かに言われると、実感できるんです。
でも師匠、もう日本にいつまで四季があるのか不安になっているこの頃です…。

 

昭和レトロや平成レトロなんていうけど、物やファッションだけでなく、その時代を語ってくれるプロたちの存在もまた、極上のレトロの1つなんじゃないかな。

時代物怪談が怖いという長話と「数えずの井戸」

古典的な日本の怪談が怖い。
幼い頃、怖い話をせがんだ姉弟に父親が話したのはいきなりの四谷怪談だった。
内容どうこうよりも、お岩さんの怖さは壮絶だった。

 

加えて、じいちゃんばあちゃんの家のテレビでしょっちゅうかかっていた怪談ドラマも凄かった。毎回違うストーリーだったのだが、記憶に残っているのはほぼ時代物であったこと。

 

いったい何のドラマだったのか今だにわからないが、小泉八雲の怪談みたいなものだったのかな。幼いながらに怖い話は好きだったのでついつい見てしまっていたが、女の人が夜中に目を覚ますと側に死んだ坊さんが座っている場面を見てトラウマが決定的となった。

 

以後、大人になるまで四谷怪談はもちろんのこと、牡丹灯籠、耳なし芳一など時代もの怪談はすべて怖かった。

 

夜中に目覚めて枕元に耳なし芳一が座っていたらおそらくショック死する。(耳なし芳一は幽霊じゃなく被害者なんだけど)

 

しかしその中で唯一怖さを感じなかったのが、皿屋敷だ。
井戸からゆらりと出てきて、「一枚…二枚…」と皿を数える。一枚足りないと何度も数えなおす。

 

なんて辛気臭い幽霊なんだ。
と子供ながらに思った。

思えば四谷怪談のお岩さんも牡丹灯籠のお露さんも攻撃的だ。恨みのパワーで相手を破滅に追いやる。皿屋敷のお菊さんにそれはない。自分を死に追いやった本人に直接かかわることなく、井戸で皿を数えて嘆いている姿に子供の頃の自分は怖さを感じなかった。

 

しかし考えてみれば、皿屋敷のストーリーをちゃんと認識していないのではないかと気づいた。時代物の怪談は歌舞伎や落語などから広まり語りつがれていく場合が多い。実際にあった事件や史実を繋ぎ合わせたりアレンジしたりしているので、元になった史実なんかはよくわらない。

 

皿屋敷は特に日本各地に似た伝承があるようだ。有名なのは播州皿屋敷と番長皿屋敷だが、この二つも設定からして違っている。

 

お皿も紛失したとか割ったとか、いろいろなバージョンがあって、お菊さんの身分も存在も確固としたものが存在しないような感じだ。

 

 

 

て、ことで異常に長い前振りのあとで、京極バージョンの皿屋敷の話。
とはいえ、時代物怪談トラウマの自分にとっては京極ファンであってもこのシリーズは長きにわたって手が出せなかった。

 

まだ怖いのだ。
嗤う伊右衛門面白いよ」と友達に言われても、四谷怪談なんてとんでもない!という感じ。

 

しかし先日「数えずの井戸って家にある?」と娘からのLINE。

「無いけど、何で?」
「面白いって友達が言うてたから読んでみよかなと思って」
という会話があり、これを機会に自分も読んでみるか、と挑んだ次第。

 

で、スバっといってしまうと〝怖くない〟
これは怪談ではない。

 

京極ワールドに取り込まれた怪談の登場人物たちの人間ドラマといった感じ。
主要人物であるお菊さんや青山播磨を始め、項目ごとにそれぞれ登場人物たちの一人称で語られる。

 

しかもどいつもこいつも濃いったら!
皿屋敷の単純なストーリーをどれほど膨らませればあの分厚さになるのかと思っていたら、芝居では表現できないそれぞれのゆがんだ心象風景が次から次へと押し寄せて圧倒される。

 

それぞれがみんなどっかおかしい。
生気を感じないヤツやら、おまえ生気の持ち様を間違っているぞというやつら、そろいもそろってみんなことごとく短調なのだ。

 

少しずつ崩れていきながら進んでいく事態に、読む手が止まらない。

 

一枚…二枚…の怪談的展開を期待している方にはおすすめしない。
京極時代怪談は、百物語シリーズの一端でもあるので。


しかしラストに徳次郎の口から語られる凄惨極まりない場面は、変に想像力を刺激し、ストレートに描かれるより数段怖かった。

 

恐るべし。皿屋敷

 

後はいよいよ「笑う伊右衛門」に挑むときだ。
実は「覘き小平次」はずっと前に読んだことがあるのだ。知らない人だったので。

 

時代物怪談が怖いのは変わらないだろうが、怖いイコール嫌いではないというのがほんとのところ。
小泉八雲の怪談なんか何回読んだことか……(*^。^*)

 

 

 

 

 

 

 

小説と映画で「64」の世界再び!

この映画が公開されたのが2016年ということで、もう7、8年くらい前になるのだけど、出演者の顔ぶれがとにかくすごいので、見たいとは思っていた。

 

 

見よう見ようと思いつつ、その前に原作を再読しておさらいをしようとしていたが、これも読もう読もうと思いつつ、長い年月がたちました。

 

先日古本フェアで偶然見つけたとても状態の良い「64」。前回読んだのは確か図書館の予約待ちだったので、手元になかったのだ。

 

 

しかし、読み始めたものの「え、ほんとにこれ読んだっけ…?」と不安になるほど覚えていない。横山秀夫のこの名作を読んでいないわけがない。

 

でもするすると行ってしまうほど面白い。下巻に突入して、後半からラストの下りでようやく思い出した。事態がリアルに動き出し臨場感とテンポに圧倒されているうちに、切ない感動のラストが待ち受ける。

 

この物語の前半は、警察内の警務部と刑事部の確執と争いを中心に展開していく。14年前の誘拐殺人事件の詳細以外は派手な展開がなく、警務部の広報官という地味な主人公の三上と、記者たちとの確執、小憎らしさ満載の上司の存在など、「どうなるんだろ、この人たち」と警察という特殊な世界の内情が興味深くとても面白い。

 

以前読んだときの感覚と、今とでは違うのだろう。だからおそらく前半部分をまったく覚えていなかったのだ。

 

 

で、満を持しての映画鑑賞なのだけど、けっこう原作に忠実で見やすかった。とはいえ、映画は原作に忠実であれば面白いのかというとそうではなく、映画でしか出せない表現があるので、この映画も忠実でありながら原作では淡々としていた人物どうしの関わりや距離感が縮まっていて、それはそれで盛り上がって良かった。

 

ラストは原作とは違う展開になっていたが、違うというより治まったという感じ。きっとこうなってくれるだろうという期待みたいなものが描かれていて、作りごと感になってはいるけど、それはそれなりにすっきりした。

 

初めて読んだ時と違って、今は後半の新たな事件よりも、記者たちと警察とのリアルな現場の迫力と臨場感が印象に残った。

 

「現場を知らない」とか「キャリア」とか「他県や警視庁との確執」みたいなことをドラマや小説で耳にはするが、警察の中のことなんて具体的にはよくわからないのがほんとのところ。

 

元記者だったからこそ描ける臨場感と内情が、まさに横山秀夫の真骨頂だと感じた。再読してよかった。若い頃に読んだわけではないのに、日々人の気持ちや感じ方って変化しているのだなあと、つくづく思う。

 

 

孫と遊びたいがために仕事を辞めたいFBIの特殊捜査官「ブラック・ライト」

ここんとこほんわか映画やドラマばっかりみていたので、脳がスピーディーで迫力のあるものを欲しだした。

 

 

今年公開されたリーアム・ニーソンのアクション映画。
リーアム・ニーソンといえば、「トレイン・ミッション」「96時間」の強すぎる只者ではないお父ちゃんのイメージなのだが、しばらくお会いしない間に、強すぎるおじーちゃんになっていた。

見た目ももちろん老けてはいるが、設定そのものが「孫ともっと遊びたいのでFBIの極秘任務の仕事を辞めたい」というおじいちゃん。

 

主人公のトラヴィスは、FBIとはいえ、長官から直に雇われている特殊な存在。彼の仕事はFBIの潜入捜査官に命の危険が迫ったときに彼らを救出するというもの。

 

危険な現場に乗り込んでいく場合もあれば、麻薬にやられた麻薬捜査官を精神的に救いだすという任務もある。

 

そんな彼も孫を溺愛する普通のおじーちゃんで、孫といっしょにいる時間をもっと増やしたいと切望している。

 

そんなある日、いつものように救い出した潜入捜査官のダスティからとんでもないFBIの秘密を聞かされてしまう。

 

逃走しつつマスコミにリークしようとするダスティ。疑問を感じながらもとにかく保護しようとするトラヴィス。しかし、ダスティはトラヴィスの目の前で殺されてしまった。

 

殺した男たちは何者?なぜダスティは殺された?
新聞記者ミラとの関わりにより、疑惑を確信に変えていくトラヴィスはダスティ同様命の危険にさらされることになる。

 

ストーリーは単純明快でアクションメインの映画だろうから、それはそれでいいのだけど、その単純明快さが自分的にはちょっと物足りない。

 

リーアム・ニーソンのアクション映画は、ストーリーが面白い。とえらそうなことをいいつつ、「トレイン・ミッション」と「96時間」しか見てないんだけど。どちらも本人の意図とは関係なくとんでもない事態に巻き込まれていくパターン。

 

丸く治まるんだろうと思いつつも、次どーなる?それからどーなる?と気になって、時間を忘れてのめり込む。今回はそれがない。すべて予想通りに進んでいくという感じ。

 

この孫絶対利用されるぞ、この人物ヤバいぞ、という予想が的中しすぎる。こういう映画の場合、もうストーリーなんざどうでもいい!という、それを補うだけの魅力がほしい。

 

なんで死なない?という常識はずれの強さとか、これCGか?マジか?というような激しすぎるアクションとか、えっ?こいつ実は悪者?という意外性とか。ストーリーの薄さを補う魅力をあまり感じなかった。

 

まあ、頭がほんわかモードから覚め切っていないヤツの勝手な希望かもしれないが。自分としては、リーアム・ニーソンのアクションにはサスペンス感がほしい。

 

おじーちゃんになっても、幾つになっても、どんどん巻き込まれていってほしい。静かにしていたいのに「あー、もう性格的にほっとけない!」といつまでも追い詰められていってほしいのだ。

 

なんて生意気なことをほざいたが、ものすごく高いレベルの上での話です。

切なさと気持ち悪さと爽やかさを残すSFホラー「クロニクル」

ずっと以前に見て面白かったという記憶があるので、久しぶりに見てみると、やっぱり面白かった。

 

 

当時ホラーという認識で見たのだけど、どちらかというとSFで超能力もの。この映画はカメラ目線のモキュメンタリ―なのだけど、まったくそういう記憶がなかったので意外だった。

 

ある出来事に遭遇してしまったために、超能力を手にいれてしまった三人の高校生。ストーリーはその中のアンドリューの記録映像を中心にして展開していく。

 

手を動かすだけで、物を動かせることに気づいた三人は、女子のスカートをめくったり、スーパーでぬいぐるみを動かしたりといたずら程度のことで楽しんでいた。

 

特にアンドリューは家庭での虐待、内向的な性格で友達もいなかったことから、この出来事が転機になって良い方向に進んでいるように見えた。

 

しかし、超能力はその程度の力では治まらず徐々に進化していく。次々にとんでもないことができるようになった彼らは毎日を楽しんでいたが、ついにやりすぎの領域に突入してしまう。

 

それがきっかけとなり、三人の関係に溝ができ始めるが、中でもアンドリューはだんだんと過激さを増していき――

 

ラストの衝撃がずっと記憶に残っていたのだけど、やっぱり何度見ても衝撃だ。ストーリーは単純なのだが、カメラ目線のリアルさと次々と展開していくストーリーが飽きさせない。

 

アンドリューの自信なさげな表情が、超能力とともに明るくなり、次第に自信に満ちて凄みを帯びた顔つきになり、ラストは狂気をみなぎらせていく様が壮絶。

 

若者の悪事やいたずらは、ちょっと調子に乗っただけ、若気の至りというものがほとんどであるはずなんだけど、たまにシャレにならないことをするヤツがいる。

 

そこから転落していく場合も多いけど、アンドリューの場合もその感じ。ちょっとしたやんちゃ坊主から本物の悪人へと暴走していく彼の背後には、彼をそうさせた何かが見え隠れする。

 

ハッピーエンドでもなく、胸糞映画というほどの後味の悪さもさほど無く、切なさ混じりの気持ち悪さの中に、爽やかさすら感じる奇妙な映画だった。ある意味すごくホラーなのかもしれない。

 

そういえば、キャリーも超能力映画ではなくホラーの部類に入ってるよなあ。

 

 

キャラクターだけで腹いっぱい!刑事ドラマ感に溢れた「リバー」

1人1人のキャラクターが強烈なので、頭の中で俳優さんとか有名人を当てはめて読んでいくと楽しい。

 

 

リバーとは栃木県と群馬県を流れる渡良瀬川
その河川敷で若い女性の死体が発見される。

 

十年前にも同じ手口の事件が起こっていて、容疑者は捕まったものの決めてを欠いて不起訴処分で釈放。

 

今度の事件もそいつの仕業なのか、それとも模倣犯なのか―—。
警察も市民も凍り付いている状況の中、第二の死体が――。

 

本格推理とかではなく、警察小説。
栃木と群馬の警察の方々が、コツコツと事件を捜査していく状況がストーリーの軸になっている。

 

と同時に、なんとかして記事のネタを求めるために動いていく新聞社の記者たち。
共に怒りと喪失感に苛まされ続けている十年前犯人を逮捕できなった元刑事や、十年前の被害者の遺族。
万引き常習犯の母親を持つスナックの雇われママ。

 

彼らの視点を通して順番にストーリーが進んでいく。そして彼らに絡んでくるのは、十年前の事件の容疑者、謎めいた期間工、引きこもりの若者。


犯人は誰?というよりは、警察が最後に追いこんでいくのは誰?という感じ。
特別なトリックなんかは無いが、少しずつわかっていく新事実にわくわくさせられる。
ほんとまるで刑事ドラマを見ているような。

 

かなり分厚い本だけど、予想以上に早く読めてしまうのが、奥田氏の作品。
キャラクターが濃いのは毎度のことで、毎回違った世界観を楽しませてくれるので楽しみなのだが。

特に狂人犯罪者には恐怖感を超越して呆れかえるし、まさにヒロインすぎる女性記者にはうっとおしさを感じるし、引きこもり男はもうそれだけで違う物語りが書けそうだ。

 

ほんとキャラクターだけで腹いっぱいになります。



ただ今回、読み終わった後で積み残し感も多少あった。
何で?
みたいなものがパラパラと残ったままだ。
あの人その後どーなったの?という人たちがけっこう。

特に動機の問題。
漠然とした動機が、しっくりと治まらない。

 

と、最初は思っていたのだけど、よくよく考えてみれば、納得できる動機など小説の中でしか存在しない。変な話だけど、この作品も小説でありながら、どうも小説のような気がしないと思っていたのは、そんなところなのかも。

 

事件の記録を読んでいるみたいな感がある。
警察小説でも「半落ち」なんか泣けるし、他の作品でも犯人の心境みたいなものが伝わるので、納得はできる。

 

しかし、これは犯人の気持ちがまったくわからない。闇のままなのだ。
だから現実の事件の記録のような感じを受ける。

 

実際の事件の犯人の心の闇はのぞけない。
なんでこんなことができるの…?
という不安と宙ぶらりんの気持ちだけがモヤモヤと残る。

 

事件にかかわった人たちのその後の消息なんて、現実的には実際わからないわけだし。

 

逮捕したけど、解決したけど、積み残したものや拾いきれなかったものがいっぱい散らばっているような、まさにそんなふうに変な現実感を感じる作品だった。