もくれんの映画と読書日記

趣味のかたよった読書と映画鑑賞の日記です。

新しいタイプの読者への挑戦「ポピーのためにできること」

分厚い文庫を手に取って「ヒマかかりそうだな」と思ったけど、杞憂に終わる。
あっという間に読めた。

 

 

もちろん面白いというのが第一なのだが、この小説はすべてがメールのテキストや新聞記事、関係者の供述などの資料から成り立っているので、行間が多い!というのも大きい。

 

まずはさまざまな登場人物たちが、それぞれいろいろな相手にメールを送っているので、いきなり混乱する。最初から登場人物表で確認しても、まだよくわからない。

 

でもあまり大したことは言っていないので、なんとなく流しておくと、言葉の使い方や内容などから、それぞれの人物が浮かび上がってくる。

 

地元の名士、マーティン・ヘイワードとその家族は、アマチュア劇団を主宰している。その劇団員とそれに関わってくる人々。彼らの間でやりとりされる話は、芝居のことや日常――。

 

ひととおり、おおまかな人物たちがそろったところで、マーティンによって重大な出来事が知らされる。
彼の孫の2歳になるポピーが難病を患っていること。

 

高額な治療費を捻出するために、劇団員たちは募金活動などに動き始めるが――。

 

実はこの物語は、ある1つの殺人事件の関係資料なのだが、いったい誰が殺されるのか、犯人は誰なのか、動機は?などいっさいわからない状態で進んでいくのが、新鮮で面白い。

 

この資料を読んでいるのは読者だけではなく、弁護士に真相を解いてみるよう言われた男女の若者2人で、ときどき彼らの意見交換と弁護士のヒントが出てくる。

 

まさにこれは推理小説の定番、読者への挑戦スタイル。
ある意味古典的なスタイルかもしれない。

 

しかしメールやチャットなどのテキストだけで、事件の展開や人物どうしの繋がりがわかってくるのは、まさにスマホのやりとりが証拠になる現代の事件の捜査と通ずる。

 

おおむね本音をぶちまけている人、人によって態度や言葉が変わる人、軽い内容ばかりを連ねている人、そしてメール中には出てくるのにメールそのものに一切参加していない人物など、どいつもこいつも怪しくて、嘘と本当がまじりあって非常にややこしいけど、非常に面白い。

 

誰が殺されてもおかしくないし、誰が犯人であってもおかしくない。動機もあれやこれやと浮かぶ。

 

テキスト上のやりとりは、誤解を招いたり気持ちが伝わりにくいというけれど、果たしてどうだろうか。これを電話に置き換えたらと考えてみたが、ここに感情と声と時間が加わると、お芝居になる。

 

そこで思い出す。彼らは全員劇団員だった。逆に彼らにとっては声を出すよりテキストだけの方が、正体が出やすいのかもしれない。

 

後半、弁護士の先生が出した問題
「殺されたのは誰か」
「犯人は誰か」
そして
「○○なのは誰か」
最後の質問だけは、テキストだけでは確かにわからない。