パディントンというのが、駅名とは最近まで知らなかった。
女王陛下とお茶したあのかわいいクマさんのお名前なんだと、ずっと思っていた。なんせ本も読んだことなかったんで。
だからこの小説はクマさんとは何の関係もない。
アガサクリスティーの作品はまだまだ未読のものが多く、たまたま古本屋さんでかわいい名前を見つけたので選んだ。
パディントン発4時50分の列車に、ミス・マープルの友人が乗る。クリスマス前にマーブルを訪ねていくためだが、彼女はその列車の窓の外でとんでもないものを目撃してしまう。
隣を走っていた別の列車がたまたま同じスピードになった時、窓の向こうで女性が首を絞められて殺される瞬間を目の当たりにする。首を絞めている男は、後ろ姿で顔が見えない。ただ、苦し気な表情で変色していく女性の顔はしっかりと目に焼き付いてしまった。
パニックになった友人は、車掌に訴え、警察にも話すことになるが、そんな情報はどこからももたらされておらず、バーさんの妄想だとでもいうように誰も信じてくれない。
なかったことにされるはずだった事件の犯人にとって、不幸だったのは友人が訪れる場所がミス・マープルの家だったこと。
妄想などするはずがない友人のことをわかっているマープルは、彼女の話を当然信じ、彼女が去ってからも自らその列車に乗り、事件の可能性を熟考する。
とはいえ、マープルが活躍するのはここまでで、このストーリーに我らがマープルはあまり出てこない。まさに安楽椅子探偵に落ち着いてしまう。
ここから活躍するのがマープルの依頼で、その後の事件の現場になる屋敷に乗り込んでいくのがスーパー家政婦ルーシー。
「死体を見つけて」というマープルの依頼に、驚きもせず「誰の?」と聞き返すルーシーに、読者はすでに魅力を感じてしまう。
彼女はスーパー家政婦ぶりを発揮して、屋敷の人々の心を魅了していくが、名探偵ぶりもなかなかのもので、ときどきマープルと連絡を取り合いながら、適格な情報をマープルの脳に送り込んでいく。
アガサクリスティーの作品を定期的に読みたくなるのは、ポアロやマープルなどキャラクターの魅力とは対照的に、登場人物たちがかなり客観的に描かれているので、感情移入することなく、最後まで犯人がわからない状態を保ってくれることだ。
怪しいといえばすべてが怪しいので、犯人が明かされた時も、ものすごい意外性は感じない。むしろ俗物すぎる動機は、作り事感を感じさせず今でも通用する一般的なものだ。
だからこそ古めかしさがない。理論的であり、犯人の俗物性と客観的な視点が他人事感満載で、それでいてワクワクさせてくれる展開は中毒性すらもっている。
でも自分的に一番の魅力は、イギリスの当時の生活を感じさせてくれること。食事やお茶の時間、服装などの記述はじゅうぶん頭の中で映画化させてくれて楽しい。
加えて、ポアロ作品もそうだけど、旅や列車がテーマになっているものが多い。だから映画化されても絵になるんだろうけど、旅気分を満喫させてくれる。絶対味わえない19世紀のレトロでおしゃれな旅を。
こちらの小説は映画化もされているようなので、ぜひ見ることにしよう。
「パディントン発」の光景を頭の中で描かせてくれたのは、映画パディントンのおかげ。ブラウンさんたちと出会うパディントンの駅が鮮やかに目の前に広がる。きょろきょろしているパディントンの目の前を、マープルの友人があたふたと横切っていく様子を勝手に描く。
とにかくかわいいの一言に尽きるこの映画。本を読んでいないのでどこまで原作なのか知らないが、現代だからこそ着ぐるみではない、本物らしさとかわいさを出せたのだと思う。
何にも考えずに楽しく見られるファンタジーなのだけど、一番印象に残る――というか残ってしまうのは、誰からも相手にされず駅で途方に暮れるひとりぼっちのパディントンの姿。
声をかけてくれたブラウン家のママが、神様に見えた。
「だってクマがひとりぼっちで困っているのよ。声をかけないわけにはいかないでしょう」と、どっかずれてるママのキャラクターがとても魅力的だ。
ひとりぼっちのクマに、自分も声をかけたいけれど、でもそれはとても勇気のいることだと、なんかしみじみいろいろと重ね合わせて、思ってしまった。