以前に夏秋バージョンを見てから、そのうち冬春バージョンも見なければと思いつつ、月日がたって、今ようやく見た。
夏秋を見たのが、リアルに夏だったこともあり、案にたがわずいろんなことをしたくなって、いろんなものを食べたくなって、平和な気分になったが、今回の冬春バージョンは、まだまだクソ暑い今だったこともあり、雪みてもさほど入りこめなかった。
ただ、年末や正月の行事なんかは見てて引き込まれるけど。
考えてみれば、まだぎゅんぎゅんに半そで着て過ごしてるけど、あと二か月もたてば年末だ。日本はほぼ夏になってしまった。
冬春バージョンは、前回の淡々とした雰囲気に比べて登場人物たちの感情が強く押し出されている。唐突に喧嘩したり、怒りの感情を爆発させたり、それぞれが抱えるいろんな事情が垣間見える物語だった。
自分的にはちょっと。
映画やドラマは見るときの気分や状況で、ちょうど求めているものが来るとぎゅっとくる。それはほんとに自分の勝手で映画の良し悪しではないし、人それぞれの受け止め方で変わる。
爽やかな気分をもらいたかったので、ちょっとしんどかった。
夏秋バージョンから言っていたけど、いち子が村に帰ってきた理由や友人たちの気持ちなんかは、頭の上を通り過ぎていく感じがする。
たぶん、自分が年くってるからだろう。
若いときに見たら、この映画が自分の中で占める割合は違っていたと思う。
どっちにしろ、ちょっとした田舎暮らしを楽しむ内容ではなく、いち子が徹底的に自給自足に徹するのが気持ちよかった。米作って鶏までさばく。
いろんなことに挑むいち子は、決して幸せそうな顔してないとこが良い。けっこう眉間にしわ寄せて力仕事したりあれやこれやと試行錯誤している。可愛すぎない(橋本さんに申し訳ないけど)キツめの顔つきが合っててすごく良い。
こういうストーリーはともすれば都会批判だったり、自分批判だったりに結びつけやすい。
たった今冷凍庫から出して解凍しているモモ肉のことを考える。自分はあいつを食する値打ちのある人間だろうか。
そんなことを考えていると、何も口にいれられなくなるし、何も作れない人間は自分を卑下して生きなければならないのかってことになる。それもおかしな話。
結局感じたいのは感謝。
今ここで生きていられることへの、いろんな物や人や出来事への感謝。
煮詰まる日常に、ときどき服用しなければならない薬みたいなもので、わかりきったことだけど、そんな気持ちを改めて感じたくて、こういう映画を見る。
で、一番感じたこと。
とにかく、もうちょっと秋が長くほしいなあ。
栗とかキノコとかさあ、おいしいのになあ。
紅葉ももうちょっと長く見たいなあ。